さとちゃんとおじー 

低血糖症を煩い、仕事退職→結婚でサンフランシスコに移住。年の差国際結婚。太鼓叩き。アラフォー女子の生活。

なんてこったい!英語学習の道のりは長いな〜。その8 日常会話って何さ。。

 このブログで、何度も何度も泣き言を書いていますが、私は英語がよう話せません。
 
何をもって「話せる。」 っていうのか、定義はそれぞれだと思いますけど、よく言う「日常会話レベル」。日本でいう「日常会話」とこっちの生活での「日常会話」は大きな差があると思っているのは私だけでしょうか。。。(^^;)

ちなみに・・・
 
「手にもっているベットの足の部分をひっくり返して、窓から出して。」(実際に引っ越しの時に出てきた会話。)
 
とか、
 
すぐに、言えないんですけど。。。(^^;) すまんね。。。
 
 
じゃあ、全くしゃべれないかと言うと、一応、おじー、日本語をしゃべらないアメリカ人なので、英語で会話してるんですけど、なんだか2人して言いたいことが何となく分かってしまうのと、私の数少ないボキャブラリーをヘビーローテーションしているので、
 
うーん、英語しゃべってる感じ、まるでゼロ。。。(^^;) えへへ


ただし、私、好きな会話というのがあって、それになると、なんだか英語を話していることがとても楽しい(^^)


じゃ、その好きな会話とはなんなんじゃい???ということなんですけど、
 
ざっくり言うと、
 
「あなたはそれについてどう思う?」
「あなたはどんな人生を送ってきたの?」という会話。
その人の事を知る会話が大好き。どんな考え方して、どんな風にものを見ているのか・・とかさ。
さとちゃん、質問大好き♪
 
 
最近書いた、ガン見もそうだし↓(この記事の後にも、質問しまくりです。)
あと、最近の私は、
「サブカルチャーの定義とは何か?そんでもって、そもそもカルチャーとは何か?」、これを聞き込み調査している。ま、調査はちょっと大袈裟だけど。。
 
 
私が思っていたカルチャーという言葉の意味と、色々な人種、性別の人達がいる、ここアメリカでのカルチャーの意味の捉え方が、ちょっと違う様な気がしていて、それが個人的に「おもしろいかも。。うふふ。」と思っているわけです。ちなみに日本で言うところのサブカルチャー(サブカルと言われているもの)は、あれ、ほとんど日本語だと思います。って、そんなことみんな知ってるって??^^;
 
 
だもんで、そんな私の好きな会話の中には、
 
「おならしちゃったから、しばらくあの部屋には近づかないで!」とか、
 
「鍋の蓋をちょっとずらしてかぶせておいて。」とか、
 
出てこない〜〜〜。(^^;)
 
“いわゆる生活の会話”がめっきり疎い私・・・。とほほ
 
まあ、いいとして。。。(よくないけど。。)
 
 
 
ちなみに、私が日本で英語を勉強していた時、それは今よりも全くもって英語がベーベーでブーブーだった時のことなんですけど、何故か英語学習に対するモチベーションだけは高かった。ただ、高いわりには、全然身になっていなかった。。(^^;)ぐすーーーん。
 
これにはいくつか理由があって、
 
その1:いつも自分のレベルにあっていない勉強をしていた。
その2:日常会話はできると信じていた。
その3:出会った外国人がみんな良い人達だった。
その4:だもんで、何故か自分の英語力を勘違いしていた。
 
Yes!!! (^^)/
 
まあ、なんというか、おめでたい人だったな〜〜と、今更ながら。。(^^;) とほほ
 
よく、日本の語学学校のクラス分けの基準にTOEICの点数が使われてるのをみてきたんですけど(今はわかりませんけど。。)、これが私の中途半端な英語力を増長した理由の1つかも〜と思う。ま、いいんですけど。。
 
 
 
そんなわけで、こっちに来てから今も英語には苦労していますが、そんな苦労の中でも
、「言葉を通じて相手を理解し、理解されたと思った時。」、そして、相手を外国人ではなく、日本にいた時の様に、自分の判断で人を見れるようになった時に、ようやく視界が広がったな〜〜という感じになった。ここまでくるの、長かった〜〜〜!!けど、まだそれも序章でしかないとは思いますけど。。。たはは
 
 
 
さて、最後に、最近おじーが朝起きてすぐに話し始めた事があって、ジョニ・ミッチェルの言葉なんですけど、その原文をそのまま紹介します。
 
和訳はしません。あしからず。。(だって、私もまだ完全に理解できてないんだもーん。)
 
私の日々の生活には、おじーのおかげで、こんな感じの話題が日常会話としてあがってくる。
 
「こんなことをジョニ・ミッチェルは言っている。君はどう思う?」
 
 
・・・・・・・(即答できない私。。。)
 
 
だから、日常会話って、難しいんだってばさーーーー!!!!!
(まあ、好きな話題ではあるんですけどね。こういうの。)
 
  
“I don’t know if I’ve learned anything yet! I did learn how to have a happy home, but I consider myself fortunate in that regard because I could’ve rolled right by it. Everybody has a superficial side and a deep side, but this culture doesn’t place much value on depth — we don’t have shamans or soothsayers, and depth isn’t encouraged or understood. Surrounded by this shallow, glossy society we develop a shallow side, too, and we become attracted to fluff. That’s reflected in the fact that this culture sets up an addiction to romance based on insecurity — the uncertainty of whether or not you’re truly united with the object of your obsession is the rush people get hooked on. I’ve seen this pattern so much in myself and my friends and some people never get off that line.

But along with developing my superficial side, I always nurtured a deeper longing, so even when I was falling into the trap of that other kind of love, I was hip to what I was doing. I recently read an article in Esquire magazine called ‘The End of Sex,’ that said something that struck me as very true. It said: “If you want endless repetition, see a lot of different people. If you want infinite variety, stay with one.” What happens when you date is you run all your best moves and tell all your best stories — and in a way, that routine is a method for falling in love with yourself over and over.

You can’t do that with a longtime mate because he knows all that old material. With a long relationship, things die then are rekindled, and that shared process of rebirth deepens the love. It’s hard work, though, and a lot of people run at the first sign of trouble. You’re with this person, and suddenly you look like an asshole to them or they look like an asshole to you — it’s unpleasant, but if you can get through it you get closer and you learn a way of loving that’s different from the neurotic love enshrined in movies. It’s warmer and has more padding to it.”

Joni Mitchell