disposable とgrief と・・・
連絡をして返事がないなんてことは、よくあることだ。
返事があっても、その後に続く返事がないなんてことも、よくあることだ。
ビジネスの場でだって、ビジネスまでいかないものでも、友人同士の関係であっても、
そんなことはよく起こる。
アメリカ人だろうが、日本人だろうが、◯◯人だろうが関係ない。
私がアメリカにいようが、日本にいようが関係ない。
そんなことはよくあることなのに、アメリカに来てからこの状況にいちいち反応している。
とっても悲しい・・・。その一言。
先日、おじーの親友夫妻のお家にお邪魔した。
2週間前に4泊滞在したばかりだったのだけど、快く私たちを向かい入れてくれた。
森の中にある彼らのお家は、自然溢れるリゾート地の高級ホテルよりも贅沢な時間をおじーと私に提供してくれる。
虫の鳴き声と、星々に囲まれ、時々、リンゴが木から落ちて「ゴツン」と大きな音を立てるのにすごくびっくりしたりなんかして・・・
生きることが瞑想みたいな、そんな場所だった。
おじーよりちょっと年上の、おじーの親友の奥様のB。
夕暮れ前の日が差し込むリビングで、色々なお話をしていた時に、
私が感じている、上に書いた「悲しい」ということについての話になった。
ちなみにおじーの親友はオランダ人で奥様はアフリカンアメリカン。
もともと東海岸で生まれ育った彼女は、やはりおじーと同様、若い時に西海岸(サンフランシスコ、ベイエリア)に移ってきた。
私の両親より年上の、アメリカ人である彼女が言ったこと、
「物事は移ろっていく。それはわかっているけれど、やはり、繋がっていたと思っていたものがそうではなくなってしまったと受け入れることは、まるで何かと死別したかのように心が痛い。あなたも私も、故郷から離れ、国際結婚をするという道を進み、今、ここにいる。とてつもない大冒険をしているのよね。」
話しながら、お互い目に涙を浮かべ、そしてその涙が頬をつたっていった。
おじーの親友夫妻は、お金持ちというわけではないのだけど、長年、2人が大切にしてきたものや作り上げてきたものが家中に(家だけではないのですが。。実際)ちりばめられていて、すごいことになっている。裕福とは、文字通り、この事を言うのだろうと思った。
とっても素敵なゲストルームがあるのだけど、実際にここに泊ったゲストは我々と他にあと1人だけだという。
彼らの作り上げた聖域に入るタイミングというのがあるだ。
昔の私だったら、彼らを気難しい人たちだな〜と思ったかもしれない。
でも、今は彼らの在り方から多くを学んでいる。
今までに私たちが持参したちょっとした手みやげも、全部、大切に扱ってくれていて、私はプレゼントをこんなに大切に扱ってくれている人に出会ったのは初めてだった。
(もちろん友人たちが、私からのプレゼントを大事にしてくれているのは知っているけれど、それを上回る扱いっぷりだったのよ。本当に。。)
彼らは慎重に、そして厳重に選んでいる。何を持って、何を持たないか。
誰に対して心を開くか、開かないか。
SNSを通じてどんどん膨れ上がっていく、いわゆる「繋がり。」
繋がりとは聞こえはいいけれど、これは言い換えれば、使い捨て(disposable)になるのだろうか。。とは、今日、英語のクラスで読んだ文章を見て思ったこと。
スピードと、質より量の、そんな社会。
条件にあう都合のよい人だけが選ばれて、合わなければ、はい、おしまい。
代わりはいっぱいいるのだから、あなたのことに気をかけてる、そんな時間はありません、よと。
物事はうつろっていく。
ネイティブアメリカンや、多くの民族が土地や文化を奪われたように、
あっとゆうまにインターネットが普及して、あっとゆうまに世界中に友達が作れるようになったように、
物事はうつろっていく。
自分に残ったものがわずかなものになったとしても、悲しみを何度も感じることになったとしても、
私は返事をし続ける人でありたいな。。と思った。
そして我が身を反省してみたりした。。
I will always write back. (という本を今、読んでます〜。お勧め。)
まずは森の家の住人と同様、自分にとって大事なものを選択することろからかな。
おじーの親友が作ってくれたお粥。出来上がるまで45分位かかってました。お腹に優しくて美味しかった〜〜