低血糖症のぐうたら日記No18☆過去の自分はもう他人
昔の写真、見つけた〜。
28歳位。インドに行ったときの写真やね。
インドで風邪ひいた〜。
低血糖症になってアメリカに来てから、思えば、生活がガラリと変わった。
病気のこと、会社退職のこと、結婚でアメリカ・・・・
てな感じで、
変化に心身が追いつかず、罪悪感もいっぱいで渡米してきたんだよな〜。
だもんで、
一年経った今でも、
ちゃんと私の渡米のことや、結婚を知らせてない人が、
そういえば、いるのよね〜〜〜〜(^^;)
会社の退職にしても、結局、会社行かずに退職しちゃったし(なので挨拶してません。)、
てか、退職しても具合悪かったし、メンタルも回復してなかったので、まあ、気持ちこそこそしてました。(^^;)
で、ふと、こうして昔の写真みて、以前の人間関係だったり、自分の歴史を振り返ってみたりして、
一瞬、
「渡米のこと、結婚のこと、何の連絡もしないで、私は冷たい人間なのだろうか。。。」
と、思ったのだけど、
「考えてみれば、私だって、向こうから何の連絡もらってないじゃんね。だはは。」
と思ったのでした。
以前、目にした文章に、
「ガンを治すのではなく、ガンになった私を治したい。」というくだりがあり、なかなか言い当ててるよな〜と感心した記憶がある。
病気で出てくる症状は治っても、本人が変わらなくては、また何度も再発する可能性がある。
その人の何が、その人を病気ににしたのか?
その人のどんな行動が、その人を病気にしたのか?
昔の写真をみて、過去の自分をつなぎ合わせようと、自分の歴史を辿ろうとして止めた。
あの過去の延長線上に、私の病気があった。
お人好しで、犠牲になることを良しとし、自分の身体にはまったく構わないで、人の目ばかり気にしてた、
そんな私が病気になった。
記憶の扉を閉じ、釘をいっぱい打ち付け、なんなら洋服箪笥で扉を封じて、
進みだす。
ふと、写真に写っている私は、他人だな。。。と思った。
もう、今、ここにはいないんだな〜と。
私にとって治るとは、過去の自分が他人になることなのかもしれない。
そんな風に思った。
嵐のち曇りの、たいしておもしろくないだる〜い午後。
ま、こんな日もあるね。
一応、備忘録として、ぐうらた日記に残しておきます〜。